「いつも勝手に使ってたのはお前か」
「いつもじゃないです、雨の時だけです」
ここ2年ほど、晴れていても傘を差すことが多い。日傘である。
かみさんに勧められた渋い銀色の日傘を「男が日傘なんて」と思いつつ試してみると、なるほどこれは素晴らしい。歩く日陰である。涼しくないわけがない。
最初は近所の郵便局から始まり、人出の多いスーパー、美術館と徐々に範囲を広げ、バッカスの夏合宿に持参するに至った。
とは言え、通勤時に差すのは二の足を踏んでいた。日傘があれば・・・と思いつつ、徒歩20分の道のりをたっぷりの日焼け止めと庇(ひさし)が大きめのキャップでやり過ごしている。
男に日傘を差す自由はないのかと汗をふきふき歩くある日、とうとういたのだ。
朝の通勤ラッシュの会社敷地内、朝だというのにかんかん照りの下、堂々と。
日傘男子。
年も背格好も僕と同じくらい、偶然にも傘も渋い銀色である。
いよいよ男子の日傘も市民権を得始めたか、素晴らしい!・・・と思ったかというと、そうではない。むしろ、男は日傘を差さないわけだと納得した。
通勤は決して楽しいものではない。若干の緊張感や憂鬱さ、同類相憐れむ個別の連帯感がある。
ところが、日傘が演出するのは明るい連帯感なのだ。とても仕事をする気になれない。
家に帰って「日傘男子」のことをかみさんに話すと、僕が会社で日傘男子一番乗りできなかったことに地団太を踏んで悔しがった。
「でもバッカスでは一番でしょ?」